福山藩の礎をつくり発展させてきた藩主たち。
そのエピソードを紐解きながら、令和のビジネスにも通じる仕事術について考えます。

阿部正弘と「イノベーション」

福山藩阿部家7代藩主の阿部正弘は、江戸後期の国政を動かし日本の近代国家の礎を築いた人物として知られる。
25歳という若さで江戸幕府老中となり、27歳で老中首座に就任。
老中首座とは、現在の総理大臣にあたる大役だ。
政情が大きく揺れる中、安政の改革を断行。
人材育成のために藩校「弘道館」を「誠之館」に改めて、身分によらない教育を行った。
さらに、長崎に海軍伝習所を設けて西洋砲術の推進と軍備の西洋化を進め、洋学所をつくって西洋文明導入にも尽力。
慣習や身分に関わらず人材を登用した。

外国から通商を求め来航が相次ぐ中、江戸幕府の最高責任者として、攘夷論者を説得し、1854(安政元)年にペリーと日米和親条約を締結。
約200年続いた鎖国を終わらせた。その後、1857年(安政4年)に39歳の若さで病没する。
老中の座のまま没し、最期まで日本の舵取りを行っていた。

阿部正弘肖像画(福山誠之館同窓会蔵)

今月のビジネスパーソン

吉川さん

株式会社 サン・クレア 広報
東 真貴さん

福山駅そばにある『アンカーホテル』のコンセプト設計やイベント企画等に携わる。
備後エリアが持つ魅力を国内外に発信中。
最近飼い始めた小鳥とともに出勤する。
6歳双子のママ。

聞き手

皿海さん

福山城博物館 学芸員
皿海 弘樹さん

福山城と福山藩の歴史をひもとく案内人。
現在改修工事中の福山城博物館リニューアルオープンに向けて、準備に奔走中。
地元の小学生を対象とした地域教育にも取り組んでいる。

皿海さん
今回クローズアップする阿部正弘公は、福山藩を治める家が水野家・松平家から阿部家にかわってから、7代目にあたる藩主です。
東さん
阿部正弘は老中首座に、27歳で就いたのですよね。
当時でも異例の若さだったんじゃないですか?
皿海さん
若さも異例ですが、この人の人材登用も慣例を打ち破るものだったようです。
家柄や身分よりも、実力重視。
自身の方針に反対する勢力の人も要職に就けていました。
東さん
自身も若くて、登用した人材も異例ずくめなんて、当時よくそんなことが許されたなあ!
でも、未曾有の危機を前にして、いろんな人の視点を取り入れようとするのは、すごくわかります。
今だって、こんな時代だからこそ、かつてないやり方でビジネスにチャレンジすることが必要だと思います。
皿海さん
『アンカーホテル』をつくる時も、いろんな分野の人が携わられたのですよね。
東さん
それまで会うことがなかったいろんな分野のプロフェッショナルさんたちに集まっていただきました。
年齢も経験もさまざま。
ですが、私たちには「福山を国内外の人にアピールする」という明確な目的があって。
このホテルのあるべき姿はわかっていたので、違う視点の人が集まってもブレずに、新しいアイデアを出し合っていけるのだと思います。
皿海さん
今後の目標は?
東さん
このホテルを、福山で一番サスティナブルなホテルにします。
元々、海の生き物や環境のことに関心があって。
そして、地元の技術を継承させる一助になりたい。
職人さんに聞くと皆さん、後継者の問題を抱えています。
技術やアイデアの価値を高めて、地域経済を持続させる。
『アンカーホテル』がその起点になればと考えています。