福山藩の礎をつくり発展させてきた藩主たち。
そのエピソードを紐解きながら、令和のビジネスにも通じる仕事術について考えます。
阿部正弘と「リスク管理」
福山藩阿部家7代藩主であり、江戸幕府の老中を務めた、阿部正弘。
1845年(弘化2年)に、27歳という異例の若さで、老中のトップであり現在の総理大臣にあたる老中首座に就任した。
その任期中に起こった最大の国難といえる出来事が、1853年(嘉永6年)の〝黒船来航〞だ。
阿部正弘をはじめとする幕府と各藩とで協力し、情報を積極的に収集。ペリー提督がアメリカ・フィルモア大統領の親書を持っていることや、来航する船の名前と数などを事前に把握していた。
また、来航の時期や到着するであろう港を浦賀と予測し、外交担当者や通訳をスタンバイさせた。
当時、アジア諸国が欧米列強と戦争し植民地化が進んでいたが、強い危機感をもっていたのは幕府内では少数派であった。
阿部正弘のリスク管理力と入念な備えが、平和的な開国を実現させ、日本の将来を見据えた近代国家の礎を作ったといえる。
今月のビジネスパーソン
福山ニューキャッスルホテル
熊田 祐介さん
フレンチレストラン『ロジェ』の店長で、(社)日本ソムリエ協会認定ソムリエの資格を持つ。
新卒で入社以来約22年、法人担当やブライダルなども経験してきた生粋のホテルマン。
聞き手
福山城博物館 学芸員
皿海 弘樹さん
福山城と福山藩の歴史をひもとく案内人。
現在改修工事中の福山城博物館リニューアルオープンに向けて、準備に奔走中。
地元の小学生を対象とした地域教育にも取り組んでいる。
幕末を描いたドラマなどでは、〝黒船来航〞の場面がたいてい序盤にあって、幕府をはじめ国中が大慌て…、みたいに描かれがちですが、本当は違ったようなんです。
実際には、急な事態が起こって大慌てしたわけではなく、ちゃんと事前に準備をして対応していたのですね。
知らなかったです。
知らなかったです。
ペリー提督率いる船団がアメリカを出航した時期と、各船の名前まで判っていたそうです。
そこで、江戸に砲台を作ろうと動いたり、各藩にはそれまで禁じていた大型船を作る許可を出したりもしています。
また、それまで臨時の役職であった「海岸防御掛」を常設とし、沿岸部の軍備を強化しています。
そこで、江戸に砲台を作ろうと動いたり、各藩にはそれまで禁じていた大型船を作る許可を出したりもしています。
また、それまで臨時の役職であった「海岸防御掛」を常設とし、沿岸部の軍備を強化しています。
考えうる限りのいろんな手立てを講じていたんですね。
ホテルでも、予測不能な事態はたくさん起こりそうですよね。
年齢層も幅広く多くのお客様がさまざまな目的でご利用されますから。
あらゆる事態を想定しておくために一番大事なのは、やはり情報収集です。
予約のお電話で、いかに細やかに情報を得ておくか。
そして、これまでの経験や積み重ねから得た情報とひも付けます。
お客さまのご利用当日に新たにわかることもありますから、それをチームで情報共有することも大事ですね。
あらゆる事態を想定しておくために一番大事なのは、やはり情報収集です。
予約のお電話で、いかに細やかに情報を得ておくか。
そして、これまでの経験や積み重ねから得た情報とひも付けます。
お客さまのご利用当日に新たにわかることもありますから、それをチームで情報共有することも大事ですね。
いろんな場面に柔軟に対応するために、心がけていることはありますか。
弊社の会長がよく「自分たち都合で考えていないか」と問いかけてくれるんです。
サービスマンの私たちが、ホスト側のお客様に寄り添って、気持ちを共有することが大切。
そして、「できない」を考えない。
どうやったらできるか、ということだけを考えるようにすると、新しいアイデアがはたらくと思います。
サービスマンの私たちが、ホスト側のお客様に寄り添って、気持ちを共有することが大切。
そして、「できない」を考えない。
どうやったらできるか、ということだけを考えるようにすると、新しいアイデアがはたらくと思います。