福山藩の礎をつくり発展させてきた藩主たち。
そのエピソードを紐解きながら、令和のビジネスにも通じる仕事術について考えます。
阿部正弘の「人材登用」
福山藩阿部家7代藩主の阿部正弘は、27歳の若さで江戸幕府の老中トップである老中首座に就任。
山積する難題に対応するにあたり、彼がとった政策で注目すべきは、既成の枠にとらわれない「人材登用」だ。
元々の徳川家臣団「譜代大名」を重用し、関ヶ原の戦い以降に従った「外様大名」は基本的に要職につけないのが、従来のやり方。
しかし阿部正弘は、「外様」である薩摩藩の島津斉彬を重用。
また、当時謹慎中だった軍事のベテラン・水戸藩の徳川斉昭を復権させるなど、立場を超えた実力主義の人材登用を行った。
さらに、勝海舟や高島秋帆ら身分は低いが見識のある人材を起用するなど、大胆な人事も断行。
徳川家康が江戸幕府を開いて以来受け継がれてきたやり方を変えることには、反発も大きかった。
しかし、柔和な姿勢と揺るぎない信念で、「最善」を選択し実行したことが、阿部正弘が名君と評される理由だろう。
今月のビジネスパーソン
福山電業株式会社 代表取締役社長
島田 宗輔さん
2018年に同社社長に就任。
福山市の中央公園での新事業や『RiM』1階の再生事業などを通して、駅前エリアの魅力創生と、クリエイティブな人材を生かす取り組みを進めている。
聞き手
福山城博物館 学芸員
皿海 弘樹さん
福山城と福山藩の歴史をひもとく案内人。
現在改修工事中の福山城博物館リニューアルオープンに向けて、準備に奔走中。
地元の小学生を対象とした地域教育にも取り組んでいる。
立場や身分を超えた、大胆な人材登用を行った阿部正弘の政治は、現在の民主主義に近い革新的なものでした。
それについて、どう感じられますか。
それについて、どう感じられますか。
「黒船来航」が迫る当時は、国の危機ですよね。
平時と有事の際では、意思決定の仕方が違ってきます。
平時では安定するように組まれたシステムが、有事には使えなくなる。
その時に、保守派と革新派のバランスを取る難しさは、相当なものだったはず。
もっと分断していてもおかしくなかったと思うんです。
平時と有事の際では、意思決定の仕方が違ってきます。
平時では安定するように組まれたシステムが、有事には使えなくなる。
その時に、保守派と革新派のバランスを取る難しさは、相当なものだったはず。
もっと分断していてもおかしくなかったと思うんです。
実際、後の時代には、実務上の最高責任者である大老が暗殺される事態になったわけですからね。
阿部正弘のすごいところは、対立する二派の調整を、ヒロイックにするのではなく、穏やかに収めたところ。
彼がすさまじく有能だったからこそ、ドラマが起こらなかったといえるのでは。
彼がすさまじく有能だったからこそ、ドラマが起こらなかったといえるのでは。
島田社長も若きリーダーとして、新人からベテランまでいろんな人と仕事をされていますよね。
私は阿部正弘の歳は超えましたけど(笑)。
大事なのは、代表者がきちんと方向性を定めることと、それに向かって皆のモチベーションを保つように努めることだと思います。
相手によって伝え方を変えながら、能力を十分に発揮できる環境を作ろうと思っています。
大事なのは、代表者がきちんと方向性を定めることと、それに向かって皆のモチベーションを保つように努めることだと思います。
相手によって伝え方を変えながら、能力を十分に発揮できる環境を作ろうと思っています。
貴社の今後の取り組みを教えてください。
当社は、戦後すぐの創業時から、電気を通して社会のインフラ復興にあたってきました。
そして今、福山はいろんなものを最適化してきた時代から、多様性の時代へと転換期を迎えています。
駅前を中心に始めている「まちづくり事業」を通して、日常がもっと面白くなるよう、人にフォーカスした場所づくりやイベントを展開していきます。
そして今、福山はいろんなものを最適化してきた時代から、多様性の時代へと転換期を迎えています。
駅前を中心に始めている「まちづくり事業」を通して、日常がもっと面白くなるよう、人にフォーカスした場所づくりやイベントを展開していきます。