福山藩の礎をつくり発展させてきた藩主たち。
そのエピソードを紐解きながら、令和のビジネスにも通じる仕事術について考えます。

阿部正弘の「交渉力」

1853年にペリーがアメリカ・フィルモア大統領の親書を携えて浦賀に来航。
太平洋での捕鯨のために、アジアでの中継点を欲していたアメリカは、日本に対して開国と貿易の開始を要求した。その時に幕府の実務トップであったのが、若くして老中首座を務めていた福山藩阿部家7代藩主・阿部正弘だ。
アメリカからの要求を受けて、幕府は国内で議論を戦わせた後、約半年後に再び訪れるペリーと交渉することとなる。
正弘はアメリカ側との会談にあたって、身分や立場を超えた実力主義で交渉役を選定。
会見の場となった横浜で会った両国の交渉役は、互いの立場への理解や親睦を深めたことが記録に残っている。
その結果、1854年に幕府は下田と函館の2港を開いて燃料や食料・水を提供することを約束する「日米和親条約」を締結。
武力衝突に至ることなく、最善と言える平和的な内容へと着地させることに成功した。

亜米利加使節饗応之図(あめりかしせつきょうおうのず)
(福山城博物館蔵)

今月のビジネスパーソン

大島さん

福山駅前開発株式会社 業務本部長
谷本 孝司さん

旧福山繊維ビルを再開発した商業施設『アイネスフクヤマ』管理運営会社の取締役。
衣食住さまざまなテナントとの交渉にあたってきた。
施設の活性化と駅前のにぎわい創出に取り組む。

聞き手

皿海さん

福山城博物館 学芸員
皿海 弘樹さん

福山城と福山藩の歴史をひもとく案内人。
現在改修工事中の福山城博物館リニューアルオープンに向けて、準備に奔走中。
地元の小学生を対象とした地域教育にも取り組んでいる。

谷本さん
アメリカからの要求は、貿易がしたいっていうことと、捕鯨のための中継地にさせてほしいっていうことだったんですね。
皿海さん
当時、欧米の列強はアジアへの植民地政策を進めていて、日本も危うい立場でした。
ですが日米和親条約では、貿易は「必要ないのでお断り!」、開国は「2港だけで、薪や水は売るけど売値は日本が決めるよ」といった強気な内容でした。
谷本さん
すごいですね。当時の正弘公は34歳ですか。
若いですけど、老中としてはもう15年くらい務めているベテランですよね。
その経験値と、現場の信頼、事前の根回しなどもあって成し得たことでしょうね。
皿海さん
谷本さんも、仕事の中でいろんな交渉をしてこられたと思いますが、大事なことは何ですか。
谷本さん
一番は、お互いに誠実であること。
相手の立場も理解しながら、落としどころを探る。
たいていはベターな選択になりますね。
ベストはどちらかに不満が残りやすいので…。
皿海さん
それはすごくリアルな経験談…。
交渉する相手を知るためには、どういうことをされますか?
谷本さん
相手の立場や財務状況などを調べたりもしますが、わりと重視するのが「人間性」ですね。
結局は、相手を信頼できるかが決め手になってくるんです。
僕は「飲みニケーション」も大事にしていますね。
皿海さん
それに通じる話で、横浜で宴席が設けられた記録があります。
アメリカの軍人約300人を招いて日本食がふるまわれ、お返しに日本の役人が黒船に乗り切れないほど招かれ、お酒を楽しんだそうです。
谷本さん
飲み会の中でなら、人柄もわかるし本音もポロッと聞けたかも。
皿海さん
ペリーは「日本人は野蛮だと思っていたが、賢く友好的だった」と印象を変えたそうですよ。