福山藩の礎をつくり発展させてきた藩主たち。
そのエピソードを紐解きながら、令和のビジネスにも通じる仕事術について考えます。
水野勝成の「人脈づくり」
「西国鎮衛」という大きな役割を持って、初代藩主・水野勝成によって築城された、福山城。
元和6年(1620年)から始められた築城は、多くの人の協力と幕府からの助力金などもあり、わずか2年という短期間で元和8年に完成する。本丸の北隅に建てられた天守閣は、五層六階で、二層三階の小天守を持つ複合天守閣。
各層に唐破風・千鳥破風といった2種類の破風を備えた華美なものだった。
しかし、鉄砲狭間(はざま)を外敵から見えにくいよう破風や懸魚(げぎょ)といった装飾の裏側近くに設けていたり、防火のための海鼠壁(なまこかべ)を要所に備えていたりと、実用性や耐久性もしっかりと考慮されている。
なかでも注目すべきは、その白く輝く天守閣の北面だけに黒い鉄板を鎧張りするという、全国的にも珍しい造り。
堀がない城の北側は防御が比較的薄いため、その強化のために施された工夫だった。
戦前の福山城北側古写真(福山城博物館蔵)
今月のビジネスパーソン
インクロッチェ株式会社 代表取締役
岡田 千里さん
商業施設のディスプレイや店舗の内装などを手がける会社を運営。築100年超えの古民家をリノベーションした民泊&レンタルスペース『せとうち母家』を手がける。
聞き手
福山城博物館 学芸員
皿海 弘樹さん
さまざまな文書・記録・遺物などから福山城と福山藩の歴史をひもとく案内人。福山城博物館での企画や展示解説、執筆なども行う。
天守閣の北面が、昔は鉄で覆われて真っ黒だったなんて、びっくりです。あんな高さのあるところに重たい鉄板を張るなんて、工事はどうやったんだろう? 私はいつも「世の中に売っていないものを作りたい」と思っていて、無謀な挑戦ほど魅力を感じるんです。他のお城にはない新しい天守閣を作った水野勝成という方は、おもしろいですね。
そうですね。しかもこの鉄板は、幕末に長州藩から攻撃を受けた時、大砲を跳ね返したという、防御に役立った実績もあるんですよ。
実戦にもしっかり耐えたんだ! すごい!
この鉄には、勝成公にまつわるエピソードがあるんです。勝成公は実父を怒らせて国を追われ、約15年ほど西国諸国を放浪していました。その頃、今の府中市上下町を訪れ、鉄屋兵三郎という商人のところへ寄宿したそうです。勝成公はその時「いずれ自分が城を持ったら、お前んところの鉄を使うよ」というようなことを言ったと記録されています。鉄屋兵三郎は、本気にしなかったようですけどね。
その時は国を持たない風来坊だったんですものね。でもまさか約30年後にホントに城主になるなんて。水野勝成さんってほんとドラマチック! 私は、約20年前に、神石高原町で「里山deアート展」という野外アートイベントをやっていたんです。その頃は、好きなことをやりたいようにしていただけなんですけど、今もお世話になっている地元の方の多くは、その時につながった人ばかり。そういう、思わぬところでつながったご縁が、後々自分を助けてくれることってありますよね。
経過した月日を考えると、福山城に鉄を納めたのは鉄屋兵三郎の息子だと思われますが、父と藩主の思わぬ縁にびっくりしたでしょうね。
そして、30年前の約束が果たされたわけですね。面白い!